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これまで盛岡にはなかった遊びや活動が広がっていく機会を作れるといい。
2025年3月29日(土)に岩手県盛岡市にある百貨店「パルクアベニュー・カワトク」内にオープンする、ヘラルボニーの旗艦店「HERALBONY ISAI PARK(以下、ISAI PARK)」。
特集「ISAI PARK INTERVIEW」では、ISAI PARKの建築・設計や食、音楽などにまつわる人々を紹介します。今回紹介するのは、店内のBGMや音楽イベントの監修を務める、JAZZY SPORT MORIOKA代表のCHOKUさん。JAZZY SPORTは、「音楽とスポーツで世界を一つに」をコンセプトに、世界のカルチャーシーンを牽引する日本発の音楽レーベル。現在は、オリジナルグッズを展開するショップとボルダリングジムが併設した店舗を盛岡で運営しているほか、東京や京都にも拠点を構え、活動しています。長年盛岡の音楽シーンを牽引してきたJAZZY SPORTが、ヘラルボニーと一緒にISAI PARKでどんな取り組みを行っていくのか。ヘラルボニーの松田文登との対話の中で、CHOKUさんにお話をお聞きしました。
記事:宮本拓海 / 写真:菅原結衣
Profile
JAZZY SPORT
「音楽とスポーツで世界を一つに」をコンセプトに2002年に「Jazzy Sport」として誕生。 盛岡に最初の店舗がオープンし、2003年に渋谷宇田川町に「Jazzy Sport Music Shop Tokyo」がオープン。その後、目黒区の五本木へ移転。現在は五本木、盛岡、下北沢、京都に店舗を持つ音楽レーベルとしても活動を続ける。
CHOKU
1977年、岩手県滝沢市生まれ。レコードショップ勤務を経て2002年、JAZZY SPORT MORIOKAを盛岡市上の橋にオープン。2012年、世界初となるボルダリングジムを併設したレコードショップとして岩手山、姫神山が見える郊外に店舗をリニューアルし大きな話題に。現在のボルダリングシーンの発展に大きく貢献。現在も様々な活動の点と点が繋がり、音楽にとどまらず、アパレル、店舗デザイン・施工、映像制作に至るまで多くの分野で活動中。
Interview
ーーおふたりの出会いについて教えてください。
CHOKU : 文登くんが、僕たちが10年以上主催しているスノー&カルチャーフェス「APPI JAZZY SPORT」に来てくれたり、盛岡のショップでやるイベントに足を運んでくれたりして、知り合った感じですね。
文登 : そうですね。よくJAZZY SPORTさんが企画するイベントに、遊びに行かせていただいています。

CHOKU : 盛岡初の音楽レーベルとして長年チャレンジを続けているJAZZY SPORTさんは、思想やカルチャー、考え方を含めたすべてをリスペクトしている存在です。
世間や社会に媚びずに、売れるかどうかの判断軸ではない音楽を発信し続けていて、メンバーのみなさんがやりたいことをやり続けてきた結果が、多くのファンを持つ今のJAZZY SPORTを作っている。それがすごくかっこいいなと思っているんです。
これまではイベントに参加させていただく側だったんですが、2025年3月22日に開催される「APPI JAZZY SPORT 2025 Supported by HERALBONY」を、JAZZY SPORTさんと共同開催させていただくことが決まりました。JAZZY SPORTさんとイベントを一緒に開催させていただけるのはすごく光栄で、僕の中ではここ最近で一番嬉しい出来事です。

「APPI JAZZY SPORT 2025 Supported by HERALBONY」では、アーティストによるライブが開催されるほか、ヘラルボニー契約作家、田崎飛鳥氏と佐々木早苗氏の作品を起用した本イベント限定のJAZZY SPORT×ヘラルボニーの新作アイテムが販売される。
CHOKU : そういうリスペクトの気持ちは、文登くんからすごく感じます。ヘラルボニーが立ち上がったばかりの頃から知っているので、その気持ちがすごく嬉しいです。
文登 : 僕も、双子で共同代表の崇弥も、JAZZY SPORTさんが特に扱うことの多いHIPHOPのカルチャーが大好きで。社会にカウンターを打ち出すようなスタンスは、ヘラルボニーとしても持ち続けていきたいなと思っています。
その意味でも、JAZZY SPORTさんのようにブレない軸を持ち続けて活動する姿は、本当に尊敬しているところで。自分たちもその姿勢を、会社として大切にしていきたいなと思いますね。

CHOKU : 自分自身、盛岡を拠点にこれまで20年以上活動してきました。25歳のときに、JAZZY SPORTのお店を立ち上げて、今僕は48歳。あの頃がむしゃらに自分たちの好きなものだけを発信していきたいという気持ちで続けてきたことを、発足当初からお店に通っていた子たちが受け取ってくれて、今度はその子たちが大人になって、新しいお店や活動を始めている。
ヘラルボニーもそうだし、盛岡のまちにほかにそういうお店があって。そうしたお店が増えることで、新しいまちの景色がつくられ始めているのは、とても感慨深いですね。
そんなことを意識してやってきたわけじゃないけど、自分たちが種をまいたものがだんだんと実ってきて、今度はそれを受け取った人たちと一緒にまた新しい種をまき始めるフェーズになってきているのは、すごく嬉しいです。

ーーなぜJAZZY SPORTさんに、ISAI PARKの店内BGMや音楽イベントの監修を依頼したのでしょうか?
文登 : 今、ヘラルボニーの事業や思想に共感してくれている方々が周りに集まってくださることはとても喜ばしいことだなと思いながら、一方で会社としてきれいに丸く収まらずに、社会に対してカウンター的な意思を提示し続けることが重要だと思っています。
その中で、ヘラルボニーが「誰ひとり取り残さない」会社だと言われることには少し違和感もあって。「自分たちが好きな兄のような存在を守りたい」というシンプルな気持ちでスタートした会社なので、「自分の好き」を表現することは大切にしていきたいと思っているんです。
なので、今回は僕たち双子がシンプルにJAZZY SPORTさんが好きだから、というのがお声がけした一番の理由です。僕と崇弥の独断で決定したので、当初は会社から少し反発もあったんですけどね(笑)。
CHOKU : そうだったんだ(笑)。声をかけてもらったときは、すぐに「やるやる」と返事をしましたね。
文登 : 直さんには、改めてISAI PARKの空間を見ていただきながら、どういう音楽がこの場所に合うのか。さまざまなシーンを見ていただいた上で、考えてもらいたいなと思っています。
CHOKU : そういう意味では、改めてこの場で文登くんから「会社としてきれいに収まりたくない」という話を聞けてよかったです。
「異彩」という言葉もとても強い力を持っているので、ISAI PARKは本当にたくさんの人に影響を与えていく場所になると思う。その大事な取り組みをお手伝いできるのはとても光栄だし、期待に応えていきたいですね。型にはまらないことを続けているもの同士、頑張っていきましょう。

ーーISAI PARKで、今後「こんなことをしていきたい」と構想していることはありますか?
CHOKU : ぼんやりとだけど、訪れた人がいろんなものを見て、聴いて、触れられる場所になってほしいなと思っています。例えば、「ヒューマンビートボックス」のワークショップを開くとか。なかなか体験できないような企画を投げかけて、これまで盛岡にはなかった遊びや活動が広がっていく機会を作れるといいですね。
文登 : すごくいいですね。ほかに僕たちは、ISAI PARKをきっかけに、教育的な側面でも「障害」へのハードルを下げることができたらと思っています。
障害という言葉をなくすために、幼い頃から多様な人と関わる機会を持つというのは、ひとつ有効な方法だと思っているので、盛岡市に住む小学生全員がISAI PARKに訪れるような取り組みは行っていきたいです。障害を難しく考えすぎず、受け入れられるようなカルチャーをこの場所でつくっていきたいですね。
CHOKU : うんうん、すごくいいね。ISAI PARKにはヘラルボニーのことを知らない人もたくさん訪れると思うから、ヘラルボニーがどんな取り組みをしているのかを知ってもらえるだけでも十分に価値が高い場所になると思う。自分たちが好きなことを発信し続けて、新しいカルチャーをここからつくっていけると良いね。
文登 : そのためにもまずは、長くISAI PARKの運営を続けていくことがとても重要だと思っています。カルチャーとして浸透させるには、やっぱり長い年数が必要になる。はじめる以上は、簡単にこのお店を閉める決断をしたくないという気持ちはとても強いです。
JAZZY SPORTさんが、長年盛岡に根をはって、日本全国に、世界に音楽を発信する姿をかっこいいと思ってリスペクトしてきたので、僕たちもそこに続いていけるように、ISAI PARKの運営を行っていきたいと思っています。
CHOKU : そのためには、具体的にやることを決めすぎないのもきっと大切だよね。進む方向性をこれだと決めすぎると、それに向かって走り続けないといけなくなって、クリエイティブなことを忘れてしまいがちだし。ヘラルボニーと僕たちが共鳴している部分があるからこそ、自然に生まれるものをISAI PARKでどんどん表現してきましょう。
